院長のつぶやき アドヒアランスなる言葉の危うさ 2010年8月11日
医療の世界でアドヒアランス(adherence)という言葉が大はやりだ。猫も杓子も使う。
「患者が積極的に治療方針の決定に参加し、その決定に従って治療を受けること」
だそうだ。確かに理念としては正しい。結構なことで誰も文句は言えない。
ただ、患者さんを患者様と呼んだり、医療を客商売と規定するようなおもねりを感ずる。
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元々はコンプライアンス(compliance)と呼んでいた。「法令順守」などと訳す。
要するに、医師の指示に患者がどの程度従っているか、を意味する。
薬を指示通りのんでいなければ「服薬コンプライアンスが悪い」
通院をきちんとしなければ「通院コンプライアンスが悪い」
この言葉が上から目線だというので名前を変えてみた、というわけだ。
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けれども、言葉だけいじっても内実を伴わなければ何にもならない。
トイレを「化粧室」と呼んでも実質は何も変わっていないのと同じ。
意気込んで作り出した言葉の内容が旧態依然という例は枚挙に暇がない。
リストラは本来「事業の再構築」の意味だが今は「首切り」と同義になった。
メタボは「高血糖・高血圧・高脂血症・内臓脂肪のリスク重積状態」の意味だった。
言葉の発案者はまさか「肥満」「デブ」の別語になるとは思わなかったろう。
アドヒアランスも結局コンプライアンスという言葉を置き換えただけに終わっている。
中身は全く同じと断言して差しつかえなさそうだ。
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こういう言葉を使うことで妙な誤解がうまれないかも心配だ。
インターネットで見つけてきた真偽不明の情報にやたらこだわる患者。
医師が最善と考える薬を拒否して特殊な薬やサプリメントを使えと要求する患者。
こういう場合、患者の言うなりになることは患者に不利益をもたらす。
医師が断固とした姿勢を取り、指導したり説得したりすることは時に必要だ。
そういう場合にもアドヒアランスという言葉を使うのはおかしくないか?
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そんなわけで私は今後もアドヒアランスなる言葉を使うつもりはない。
もちろん、患者さんによく説明し納得していただくことは重要だと思っている。
大事なのは言葉遊びではなく診療の中身であるべきだ。
(2010.8.11)