院長のつぶやき 正義の押し売りに辟易する 2016年4月28日
最近ネットで目立つもの・・正義の押し売り。
例えば、他人の不倫を叩く、震災時に不謹慎狩りをする、等々。
本人は自分が正義だと思っているから始末に負えない。
正義なんてものは100人の人間がいれば100通りあるのだ。
中島みゆきの「ファイト」という歌がある。
集団が個人をがんじがらめに縛り付ける不条理を歌う。
あるいは昔おしんというドラマを見た人も多いだろう。
古いしきたりの残る旧家に嫁いだ嫁が受ける残酷な仕打ちの数々。
もちろんフィクションだけど、そういうことは昔から多々あった。
つまり、いじめであり、村八分である。
いじめは悪いことだとされている。
しかし、いじめる側、村八分をする側にも、それなりの理はある。
彼らにとっては社会的規範を破った者に対する制裁であり、正義なのだ。
そういう理屈から、集団が個人を攻撃し、立ち直れなくなるまで打ちのめす。
これも正義の押し売りで、私に言わせればまことにおぞましい。
ネットは一見新しいようで、実は昔からのムラ的要素を色濃く残す。
手段が変わっただけで、やっていることは昔と同じ。
裁判を受けたわけでもなく断罪された者にみんなで石を投げる。
不倫は褒められたことではないけれど、個人のレベルの話だ。
配偶者は自分の権利を主張できるし、言いたいことを言えば良い。
でも、集団で社会的制裁を課す正当性はどこにもない。
他人が正義面をして公の場で非難する権利なんてあるのか。
また、震災があったからネットに楽しげな写真を載せてはいけない理屈もない。
不謹慎だと非難するヤツのほうが社会の害毒だ。
道ですれ違った相手に難癖をつけるヤクザと同類で、迷惑きわまりない。
自分が自粛したければそうすればよい。でも他人に押しつけてはならない。
そもそも、他人を批判するからには、正々堂々実名で意見表明するべきだ。
匿名でコソコソ言うヤツは、最低だ。
正義の押し売りに反対する。
正義の押し売りは、時には危険だし、時には犯罪的ですらある。
原理主義が自由を抹殺するのを座視している訳にはいかない。
(2016. 4.28)