院長のつぶやきパソコン囲碁ソフト
学生時代、囲碁部だった。
今でも囲碁雑誌を取っているが、打つ機会は激減した。
わざわざ碁を打ちに出かける時間が取れない。
今は碁会所に出かけなくてもインターネットで相手を探せる。
それでも、1局1時間以上かかる。
それに、途中で中断ができない。相手に失礼になる。
だから、それなりに暇がないと碁に親しむのは難しい。
パソコンの囲碁ソフトなら、相手の事情を気にせず何時でも打てる。
途中で用事が入って中断することもできる。
隙間時間を利用することが容易だ。
期待して、昔からいくつもソフトを買った。
だが、今までは弱すぎた。
あまりにひどい手を打たれると興ざめだ。打つ気が失せる。
何度も失望した。最近までそういう状態だった。
最近、抜群に強いソフトが出現した。
妙に強い時と妙に弱い時がある。人間とは感覚の違う手を打つ。
モンテカルロ法というパソコンならではの着手決定法のせいらしい。
驚くほど強いと感じられる時もある。
特に自分が優勢のときは読みの深さを感じさせ、しっかり勝ちきる。
ここのところ何度も負かされてへこんでいる。
強い時は優に四、五段はありそうだ。
このままだとパソコンに絶対勝てなくなる日も近そうだ。
そうなったら、悔しいから、もうソフトを買わなくなるかも知れない。
(2013. 4.2)
院長のつぶやき娘は慈恵医大に
この春、娘は東京慈恵会医科大学に進学することになった。
東大(理三)は不合格だった。
彼女がどれだけ勉強したか知っているから、本当に可哀相だが、仕方ない。
代わりに、神様は頑張ったご褒美を下さった。
慈恵医大の新入生を代表して挨拶する。
成績トップで入学したものだけに許される栄誉だ。
特待生として1年間は授業料を免除される。
何て親孝行なんだろう!
家内も私も、報われた気がして、喜んでいる。
一生懸命に努力した娘のことを誇りに思う。
娘は東京で新しい生活のスタートを切る。
1人暮らしはものすごく心配だ。やっていけるかしら。
でもその経験が、娘を逞しく成長させてくれるものと信じる。
どうかみなさん、娘の出発を祝福してやって下さい。
(2013.3.28)
院長のつぶやきアベノミクスの危険
安倍氏が金融緩和政策を推進すると言ったら円安になった。
円安で輸出企業が潤い、それを材料に株価が上がっている。
まるで良いことずくめのように見えるが、本当にそうか?
円安は、ドルベースで見れば国富の減少にほかならない。
日本はエネルギーも原材料も食料品も輸入している。
その分は当然物価上昇につながる。
要するに、一般消費者から輸出企業に金を移動させているわけだ。
普通の人は、円安になったら大損する。
そのことを書かないマスコミって何だ?
金融緩和と言っても、金利はゼロで下げる余地はない。
だから、お金を市場にあふれさせる「量的緩和」をやっている。
本当に資金需要があるなら有効な手立てだが、実は需要はない。
研究開発や設備投資に使ってほしいのだが、そうはならない。
結局、余った金は株や投機や不動産に向かう。
実体経済は動かず、マネーゲームだけ盛んになる。
これは要するにバブルである。
バブルは、一時的には楽しいが、いずれ破綻する。
バブルがはじけた後の後始末が大変なのは身に染みたろうに。
安倍政権は需要を作るために公共事業をたくさんやろうとしている。
「国土強靱化」などとお題目は変わっても狙いは同じだ。
けれど、以前から繰り返された公共事業は無効だった。
これから成長する国には有効な方策が、老大国には役に立たない。
歴代の自民党政権は公共事業に金をつぎ込んできた。
麻生氏が首相だった頃の大盤振る舞いなんてすごかった。
しかし、景気はよくならず、借金だけが雪だるま式に増えた。
今やろうとしていることは、かつて失敗した政策を、
性懲りもなく名を変えて繰り返しているだけにしか見えない。
本当にそれでうまく行くのか?
私は、うまく行くはずがないと思う。
アベノミクスは、きっとミニバブルを招く。
それだけならまだやり直せるが、もっと危険な問題もある。
日本そのものが信任を失って国債が暴落するかも知れない。
一度国債価格が下がり始めたら、売りが売りを呼ぶ。
止めるすべはない。
簡単に火がつく火薬のそばで火遊びしているみたいだ。
国債が暴落したらどうしよう?
最近になって真剣に対策を考え出した。
もっと円高の時にドルに替えておけば良かったかも。
ただ、結局、海外に移住でもしない限り、できることは限られる。
所詮は一介の開業医で、やれることは眼科診療しかない。
政治や経済がどうなろうと、真面目に診療を続けるしかあるまい。
(2013.3.4)
院長のつぶやき伊吹文明衆議院議長の体罰容認発言
伊吹氏は「体罰を全く否定して教育なんかはできない」と述べた。
IOCで同じことを主張してみればいい。
どれだけ顰蹙を買うことか。
それとも、オリンピック招致に反対で、わざと言っているのか?
体罰は、上に立つ立場の人間が感情的になって振るう暴力だ。
上下関係を前提に、下の立場の者に与える制裁だ。
愛のムチ、などというのはたいてい後付けの言い訳だ。
必要な暴力もある、などと言い出せばキリがない。
線引きをする明確な基準など存在しないのだから。
そして暴力はどんどんエスカレートする。
この人は自分が日本の立法府を代表していることを自覚していない。
発言の重大性に鑑み、議員辞職するしか道はないと思う。
衆議院議長までやって、功成り名遂げたのだから、引退すればいい。
政治家なんだから、自分の発言には責任を取らないとね。
(2013. 2.11)
院長のつぶやき体罰
体罰が学校やスポーツ界に蔓延しているようだ。
明るみに出たのは恐らく氷山の一角だろう。
言うまでもなく、体罰は暴力であり、許されるものではない。
ところが、体罰を容認する意見も根強くある。
「愛のムチ」だとか「熱心な指導の現れ」と擁護する声が多い。
私は、そんなもの神話だと思う。
中学・高校の頃見聞した体罰に、私は今でも嫌悪感を持っている。
ほとんどの場合、体罰は怒りに任せて行われる。
指導者が感情をコントロールできていない。
発覚すると「奮起を促すためだった」「自覚を持って欲しかった」などと言う。
大体が自己弁護・正当化だ。
成長過程で人は必ずミスをする。初めから完璧なはずがない。
それなのに、未熟な指導者はミスを容認できない。
ミスの原因を指摘し、どうしたら繰り返さずに済むか考えさせるのが指導だ。
「できなかったらビンタ」では指導とは言えない。
暴力には自由な発想や主体的な活動や変革の意欲などの芽を摘む弊害もある。
監督やコーチの作った枠を超えることが困難になる。
そして、体罰は従属関係を明らかにするために行われる。
「俺はおまえより偉い。おまえは俺の言うことを聞け」
人格や理論や技術などで尊敬を勝ち得ることができないとき、
誰がボスかわからせるために体罰に頼るのだ。
体罰に頼る指導者は指導力がないし、精神的にも未熟と言わざるを得ない。
指導者として不適格である。
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昔は親が子供に体罰を与えるのは当たり前だった。
それが躾だとされていた。
私の父も姉や兄に手を上げた。
(私はそれを見て育ったので上手に立ち回った)
それが教育に役立ったとは思えない。
時間がかかっても言葉で納得させる必要があったのだ。
結局わだかまりを残し、ギクシャクした関係を招いたと思う。
私は息子や娘に手を上げたことは一度もない。
体罰に頼るより子育てははるかにうまくできたと思っている。
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暴力を受けてきた選手はコーチになったときに暴力をふるう傾向があるらしい。
暴力を受けて育った子供は自分の子供に暴力をふるう傾向があるらしい。
そうだとすれば、どこかでその連鎖を断ち切る必要がある。
信頼関係を結べているときに、軽いビンタ程度は問題ない場合もあるだろう。
ただ、それを容認すると深刻な暴力に対して弁解の余地を残してしまう。
体罰は厳禁にするしかない、というのが私の結論だ。
(2013.2.3)