院長のつぶやき増税を言い出すと選挙は負ける
明日は参議院選挙。菅首相が消費税増税に言及した途端支持率急落。
税収37兆円で支出が92兆円、新たな借金44兆円ではやっていけないのは当然。
逆に増税なしでやれると言っている人は嘘つき。嘘つき政治家がたくさんいる。
嘘をつかないと選挙に勝てないっていうのも何だかなあ・・・
世論や民意は近視眼的で、結局自分自身の目先の利益しか考えていないんだな・・・
マスコミも大衆迎合だし。
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民主党は過半数が取れず、ねじれ国会必至らしい。
これで、政治の停滞は避けられず、物事が進まない状況が続くわけか。
それとも小政党がキャスティングボードを握って引っかき回す?
選挙で大して票を取れなかった政党が大きな顔をするのはどんなものか。
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最近は二院制の欠点ばかり目につく。
政治にスピードが求められる時代にそぐわない。
とりあえず選挙に勝った政党に任せて仕事ができるようにしないと。
「二院が同じ意見なら二院は不要だし、違う意見なら混乱の元になるだけ」
国会議員の既得権の問題なら数はそのままで統合してしまえばよい。
それに何百億円もかかる選挙をしょっちゅうやるのも無駄な気がする。
今度の選挙の予算は約500億円。これを毎年のようにやられてはかなわんなあ。
(2010.7.10)
院長のつぶやき子宮頚癌のワクチンに賛否
今年1月の川本眼科だよりでサーバリックスという子宮頚癌のワクチンをご紹介した。
がんをワクチンで防ぐというアイデアは画期的だと思った。
しかし、最近、産婦人科医の間でこのワクチンに批判が出ている。
「このワクチンは子宮頚癌の一部にしか効かない。誇大広告だ。」
「ワクチンを打った人ががん検診を受けなくてよいと誤解する。」
「ワクチンに血税を使うよりもっと優先順位の高い医療問題がある。」
なるほどもっともな面もある。
けれども、がん死が少しでも減れば結構なことで、反対の理由としては弱い。
患者さんの誤解は何にでもつきもの。誤解を防ぐ努力をするしかない。
一般の人に知らせるため、人目を引くキャンペーンはやっぱり必要不可欠だ。
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反対にはどうも経済的理由がからんでいるようだ。
ワクチンメーカーばかりが儲け、産婦人科医に経済的メリットがないのだ。
しかも、産婦人科だけでなく、内科医や小児科医でも打てる。
もし集団接種になれば産婦人科医の出番はほとんどないかも知れない。
婦人科検診受診率が下がって収入源になる可能性も心配されている。
私は、このワクチンのキャンペーンに便乗すれば、世間の関心を呼ぶことができ、
むしろ子宮頚癌の検診受診率を上げることができると思うのだが。
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子宮頚癌の検診受診率を100%近くまで上げればがん死はほとんど防げる。
それはその通りなのだけれど、今まで努力しても検診受診率は上がらなかったのだ。
今までできなかったことが急にできるようになるとは思えない。
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まあ、一部産婦人科医の批判はワクチンの有効性を否定するものではない。
お金の使い道に関する議論に過ぎない。
若い女性の立場に立てば打っておいたほうがよいと私は信じている。
少なくとも、自分の娘は公費負担を待たず既に接種を済ませた。
(2010.7.7)
院長のつぶやき高速道路を無料にして増税?
高速道路無料化の社会実験とやらが始まった。
もちろん、無料になるのはよいことだ。高速道路を使う人は助かる。
しかし、無料にする財源はどこにあるのか?
収入が減った分は最終的には税金でまかなうしかない。
財政が豊かでお金が余っているなら構わないだろう。
現実には赤字財政が続き、いずれ増税が必至の情勢。
ということは、増税してその分を高速道路を使う人に回してあげるということ。
これって、はたして公平で正しい政策なのだろうか?
やはり、受益者負担が原則ではないのか?
所得の再分配がある程度必要なことは理解できる。
でも、高速道路を使う人たちを、再分配を受ける弱者とは言えまい。
お金の使い方が間違っている。
一方でばらまきをやり、一方で増税するのはやめてほしい。
無駄遣いをやめればいくらでもお金がわいてくるというのは大嘘だった。
私は多少の増税は仕方ないと思っているが、
ばらまきのために税金が湯水のように使われることは納得できない。
(20106.28)
院長のつぶやき取材は遠慮しておく
日経メディカル編集部から電話があり、事務に伝言。
診療報酬改定に関して電話取材したい、と。
ホームページに診療報酬のことを書いたせいかな。
取材を受けるなら折り返し電話することになっていたが、やめておいた。
日経メディカル自体は思い込みで偏った記事を書くことがほとんどない良心的雑誌。
別に信用できないとか、悪意があるとか、そういう心配をしているわけではない。
ただ、取材・編集という形では自分の発言の真意は伝わらないと思っている。
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ひとまとまりの発言の中で、勝手に一部だけを切り出されることが納得できない。
言葉というものは文脈によって意味は変わってくるのだ。
それに同じ素材を取り上げても編集のしかたで印象はがらりと異なる。
「財政は危機的状況だ。しかし、増税は好ましくない。」
「増税は好ましくない。しかし、財政は危機的状況だ。」
ほら、並べ方を変えるだけで全然違った結論になるでしょ?
他人の主張を補完するために自分の言葉を使って欲しくない。
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昔、中学受験をテーマにNHKの取材を受けたことがある。
ディレクターは良い人だったし、発言もちゃんと放映された。
それでもダメなのだ。3時間取材して使われたのは3分。
番組を見た人に考えが伝わるはずがない。結局誤解されるだけ。
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枠を与えられてその中で自由に書きたいことを書いてよいなら、受けようと思う。
たとえ、スペースが少なくても工夫の余地はある。
ダメ出しされて没になるのも仕方ない。
ただ、真意とは異なる形で他人に利用されるのだけは、嫌だ。
(2010.6.20)
院長のつぶやきツイッターは無理かな
またまた、このつぶやきの更新を怠ってしまった。
「川本眼科だより」のほうは月1回と決めているので確実に執筆してきた。
「院長のつぶやき」は不定期の更新なので、どうしてもサボりがちになる。
だいたいが遅筆で、執筆原稿は何度も推敲を繰り返す。
書くことの根拠はきちんと調べ、わかりやすく書くことを心がける。
反対の立場からの反論もあらかじめ予想して論理に破綻がないように書く。
そうするとどうしてもそんなに早く、パパッとは書けない。
適当に書き飛ばすというのは苦手だ。
メールも原則的にパソコン・メールを使うことにしている。
返事が遅くなっても許してもらえるから。
携帯メールも家族とはやむを得ず使う。でも必要最小限。
メールの返事をすぐ打つのを苦痛に感じてしまうのだ。
こんなことでは最近流行のツイッターなど、とうてい無理だろう。
(2010.6.7)