院長のつぶやき歳より若く
私は今年の7月で52歳になる。中年おじさんと言われてしまう歳だ。
だが、ありがたいことに人からは歳より若く見えるようだ。
現代日本では一般的に「若さ」は価値なので、ちょっと得をしている。
若く見られると軽く扱われて困ることもある。契約とか交渉事の時は特にそう。
医者も歳を食っていたほうが重々しく貫禄があって信頼される傾向がある。
でも、さすがに50歳を超えたら「坊や扱い」されることはほとんどなくなった。
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若く見える一番の理由はハゲや白髪がないせいだろう。
同窓会で歳を取ったように見えた同級生はどちらかだった。
これはほとんど遺伝で決まるから親に感謝しなければならない。
もっとも、父は後退型ハゲ(お茶の水博士みたいな感じ)だった。
あと数年で私もハゲ始めるかも知れない。実は戦々恐々としている。
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運動してかなり減量したのも若く見てもらえる理由の1つだろう。
やっぱり、中年太りで腹が出たり首のまわりに脂肪がつくとね・・・
もっとも脂肪はコントロールできてもシミやシワや目のクマは無理だ。
女の人はエステに通ったりするようだが、あれって効果は疑問。
外出を控えて紫外線を浴びないようにするほうが効果は高いと思う。
運動すると、ダイエットにいいだけでなく、筋肉もつく。
筋肉がつくと軽やかに動ける。さっさと歩けるし、階段も苦にならない。
年寄りくささって歩き方に如実に表れる気がする。
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後は気持ちの問題か。
肉体の衰えは仕方がない。老眼とか、記憶力の減退とか。
しかし、精神年齢は気の持ちようで変わる。
いつも好奇心を保ち、新しいことに挑戦する姿勢をなくさないようにしたい。
(2010.5.9)
院長のつぶやき駐車場整備と屋上看板ライトアップ
駐車場整備のため、4月17日(土)~21日(水)に工事を行った。
レイアウトを全面的に見直し、13台が駐車可能になった。
出て行く車と入ってくる車が出くわすことが少なくなり、駐めやすくなったと思う。
空きスペースは花壇にした。やはり多少はうるおいと癒しが欲しいから。
花はアジサイと寒椿なので、開花の季節には楽しませてくれるだろう。
今年は間に合わないが、来年から花が咲くはずだ。
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夜間照明も付けた。省エネを考えてLED街路灯にした。
電気代は定額契約なので、水銀灯でも蛍光灯でもLEDでも同じ。
LEDはまだ高いので実は損なのだが、ささやかなCO2削減協力だ。
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舗装を『透水性舗装』にしてみた。水を通し、雨が道路にしみこむ。
水跳ねが減り、水たまりができにくくなる。
夏は地中から水分が蒸発し、照り返しの暑さが軽減する。
患者さんが気づくことはないかも知れないけれど、私なりのこだわり。
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同時に川本眼科の屋上看板も手直しした。
文字部分のアクリル板が日に焼けてしまっていた。
まるでお化け屋敷のような風情。
内部照明式だったのだが、夜つけると薄ぼんやりと行燈みたい。
7年前に取り替えを検討したが200万円ほどかかるというので断念。
その後は点灯せず、ずっとそのままになっていた。
今回、駐車場整備に合わせて改修することにした。
まず、焼けたアクリル板に白い塩ビシートを貼り付けて視認性を良くした。
昼間なら遠くからでもくっきり見えるようになった。
そして高くつく内部照明はやめ、投光器でライトアップすることにした。
結果は大成功。バックの青とともに浮かび上がり、内部照明よりきれい。
格安で16年前に作った古い看板が再生し、満足している。
(2010.4.29)
院長のつぶやき24時間対応は無理
4月から診療報酬に「地域医療貢献加算」なる項目が新設された。
再診料に加算できる。診療所の再診料を20円減額した代償らしい。
たった30円ではあるが、再診の患者さん全員に自動的に加算されるので
月5~6万円になるから相当な金額ではある。
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今回の改定では、大病院で実施する手術料は30~50%アップになった反面、
視力・眼圧などの外来検査点数は軒並み減らされた。診療所の経営は厳しくなり、
大病院の収入は増える。疲弊する勤務医対策だというのだが・・
民主党のマニフェストでは医療費全体を大幅増額するはずだったのだから、
明らかな公約違反だと思う。政権交代してもこの国の低医療費政策は変わらない。
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そんな状況下で増額された数少ない報酬項目なのだから、本当はぜひ欲しい。
でも、条件を見てあきらめた。
「24時間患者の問い合わせに電話対応すること」
うーん。しかも医師が対応するのが原則らしい。開業医ならふつう医師は一人だけ。
もし毎日真夜中に電話があれば睡眠不足でふらふらになるのは必至。
いったん睡眠を中断されて、電話で話し指示し、その後すぐ眠れるわけがない。
20歳代の頃とは違い、夜中に起こされるともう朝まで眠れなくなっている。
1日だけなら気力で乗り切るとしても毎日毎日電話があったら体力が持たない。
翌日は別の医師が代わってくれるというわけではないのだ。
寝不足では医療ミスも起こしかねないし、愛想良く振る舞うことも難しい。
たいていの患者さんは常識人だから、よほどの大変な病状でない限り真夜中に電話は
しないだろうが、同じ患者さんが毎日電話してくるという事態は十分ありうる。
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留守番電話で受けてもよいという見解も示されたが、「速やかに電話をかけ返す」
というのは翌朝でもよいのだろうか? 速やか、という言葉では曖昧に過ぎる。
24時間対応を信じた患者さんからクレームがつきそうだ。
何人かの医師がグループをつくり、交代で対応する方法でもよいという。
でも、他院に受診している患者さんのことを電話だけで判断するのも怖い話だ。
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そもそも、確かに地方なら地域の診療所が対応する必要性は高いと言えるが、
名古屋市内にはいくつも大病院があるし、医師が大勢いて交代で夜間救急を
担当している病院もたくさんある。夜間はそういう施設を利用していただくのが
理にかなっていると思う。真の救急なら最初から大病院に直行すべきなのだから。
(2010.4.6)
院長のつぶやき診療報酬算定項目がわかる明細書
医療機関は「診療報酬算定項目がわかる明細書」を発行することが義務化された。
川本眼科でも4月1日から明細書を発行した。
7月まで猶予はあったのだが、制度開始と同時にスタートすることにした。
明細書発行の趣旨はもっともだと思うのだが、実施には懸念がある。
問題は、診療報酬の仕組みが複雑すぎることだ。
例えば「月1回だけ算定可能」なんていう項目がある。
そうすると、まったく同じ診療内容なのに、日によって支払額が変わる。
施設によって算定する点数が異なる項目もある。
医療機関も困っている。もっとシンプルでわかりやすくしてほしい。
正直、支払い時にクレームがないか心配していた。
幸い、初日は特に問題なかったようだ。このまま行けばよいのだが。
(2010.4.2)
院長のつぶやき大淀病院事件の誤報問題と毎日新聞社長の強弁
なんだか、最近同じようなことを何度も書いていて気が引けるのだが、
やはりここはちゃんと発言しておかないといけないと思う。
大淀病院事件をご存じだろうか。
2006年、お産のため入院した妊婦さんが子癇発作と脳出血をおこし亡くなられた。
転送先がなかなか見つからず、医療体制の不備を示す事件として注目を集めた。
報道をきっかけに裁判がおこされたがこの3/1に遺族の請求は棄却された。
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この事件は毎日新聞がスクープとして報じた。
しかし、初期の報道内容には問題が多く、医師の多くは誤報として批判している。
毎日新聞は死亡原因がはっきりわからない段階から医療ミスとして報道。
CTさえ撮っておけば妊婦は助かったかのごとく主張→裁判で否定された。
さらに妊婦が数時間放置された、と糾弾したのだが、これは事実ではなかった。
そういう記事を読めば誰だって医師を非難したくなる。だから誤報は怖い。
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後に出された毎日新聞奈良支局長のコメントを読むと、
「何度足を運んでもミスや責任を認めるコメントは取れませんでした。」
「遺族の『怒りの力』による」
と、当初から医師のミスがあったと決めつけていたことがわかる。
マスコミの思い込みは怖い。
なにしろ、思い描いた図式に合致することだけしか報道しない。
その図式に都合の悪い事実はわざと報道しない。編集権という名の下に。
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大淀病院は奈良県南部で唯一お産を扱っていた。
そして大淀病院には産婦人科医師は一人しかいなかった。
週3回以上当直していた。当直で一睡もできなくても翌日は休みではない。
この医師はこの事件でマスコミの非難を浴び、心が折れた。
なにしろたくさんのマスコミがスクラムを組んでよってたかって叩くのだ。
「精神的にも体力的にも限界」とお産をやめた。
その結果、奈良県南部でお産ができる病院は皆無となった。
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マスコミが初期の報道で正確さより速報性を優先するのは理解できる。
ただ、間違いがわかればきちんと訂正して謝罪するのが当然だ。
裁判の結果が出れば自分たちも反省することが必要だ。
報道が強い社会的影響力を持つことも自覚してほしい。
マスコミも当事者だし、報道の結果おこったことには責任がある。
面子にこだわっている場合ではない。
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ところが、3/20に毎日新聞朝比奈社長は唖然とする文書を配布した。
「医療態勢が崩壊していた現実を報道したのであって、
報道が崩壊させたわけではない」
えっ!? 完全に居直っちゃったの?
自分たちの報道と医師がお産をやめたことに関係がないと強弁するの?
奈良県南部にお産ができる病院がなくなったことに何の責任もない!?
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うーん。これは根本の姿勢から間違っていると言わざるを得ない。
ジャーナリズムは他の仕事より職業倫理を問われて当然だと思う。
情報操作により世論を操ることもできるし、政府を倒すこともできる。
それなのに他人に厳しく自分には甘いように見えるのはいかがなものか。
マスコミがその強大な力を使って一個人をつぶすことがあってはならない。
(2010.3.29)