院長のつぶやきスギ減感作療法は抜群に効いた!
川本眼科だより130号で「減感作療法」を取り上げた。
私自身がスギ花粉の減感作療法を受けたことを記事にした。
その記事の中で治療効果を報告するとお約束した。本日ご報告する。
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私の場合、減感作療法はものすごく良く効いた。
今年はスギ花粉の当たり年だが、私に限ってはここ20年間ほどで一番楽だ。
スギ花粉が多い時期にマスクもせずに外出できるなんて感激だ。
目薬も点鼻薬も使っていない。去年までは春になると毎日欠かせなかった。
たかが花粉症だけれど、解放されて本当にうれしい。
ただ、ここ数日少しクシャミが出る。以前ほどではないけれど。
よく考えたら、そろそろヒノキの花粉も飛び出す頃だ。
スギには減感作療法をしたわけだが、ヒノキにはしていないからなあ・・
ヒノキの花粉エキスは売っていないし。
仕方がない。でも、これくらいなら、許せる。
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なお、減感作療法の効き目は個人差が大きいようだ。
私の場合は効いたが、あまり効かないという人もいるだろう。
それに注射の回数は半端じゃない。覚悟が必要だ。
私は自院でナースに打たせたが、普通の人はそうはいかないだろうし。
申し訳ないが、今のところ患者さんにこの治療をするつもりはない。
注射の患者さんばかり増えて外来がパンクしてしまうから。
(2011.4.9)
院長のつぶやき原発の危険性を今までの死者数で測る愚かさ
池田信夫氏がブログで「原発安全論」を述べている。
「日本の原発事故の死者はたった2人」なので安全なのだそうだ。
なんという想像力の貧困だろう。
まれしか起きないがもし起これば大惨事になるという話をしているのだ。
コンスタントに死者が出るならそういう計算も意味がある。原発は違う。
無事故が50年続いてもその翌年に「100万人が大量被曝」になる心配をしているのだ。
池田氏は「軽水炉のリスクはゼロではないが、最悪の条件でも多くの人命を奪うチェルノブイリ型の事故は起こらない」と主張しているがどうしてそういう結論になるのだろう。
今回の事故を冷静に検証すればそんな結論が導き出せるはずがない。
たいていの事故は放っておけばいつか収束に向かうが原発は違う。
早い段階で高濃度に放射能で原発敷地内が汚染されたら誰も何も手を出せなかった。
冷却できなければ必ず圧力容器・格納容器が壊れる。圧力容器の爆発もありうる。
福島第一原発がそこまで行かなかったのは僥倖に過ぎない。
事故の際に被曝覚悟の特攻隊を大勢つぎこまなければならない非人道性も明らかだ。
チェルノブイリでは労働者を大勢被曝死させることで防護の石棺が完成した。
そうでなければ放射能汚染はもっと広がっていた。
飛行機の墜落や地震などと違い原発事故の影響は100年以上じわじわ続く。
放射能はいつまでも残る。その影響は子孫の代まで続く。
原子力はクリーンなエネルギーと池田氏は主張するが、その論拠が「日本の原発事故累計死者数が炭鉱労働者の死者数より少ない」ことなのだから笑ってしまう。
拡散してしまった放射性物質の影響を証明するのは困難を極めるが、本当は相当な発癌を引き起こしているはずだ。そういう死者は統計にカウントされない。
自動車事故のほうがはるかに死者が多くて危険だと池田氏は主張する。
20km圏内に人が住めなくなるような危険が自動車事故にあるものか。
農業や漁業に深刻な打撃を与える危険が自動車事故にあるものか。
神戸大学感染症内科の岩田健太郎氏もタバコの死者のほうが多くて危険と主張する。
しかし、浜岡原発の事故で東京・名古屋が放射能汚染されたら日本経済は壊滅する。
放射能汚染地域とされて差別を受けることも十分ありうる。
タバコをいくら吸おうとそういう危険があるものか。
感情論でも感傷論でも何でもない。論理的に危険を比較して結論を出しているのだ。
数字を持ち出されるとつい信じてしまう癖が人間にはある。
もともと比較できない数字を比較する議論にはよほどの注意が必要だ。
まやかしの比較、まやかしの安全論にだまされない賢明さが求められている。
(2011.4.7)
院長のつぶやき東海地震も必ず来る
東海地震は100~150年周期で発生することがわかっている。
1854年に安政東海地震が起こっているから、そろそろ起こる可能性が高い。
いつ、と特定はできないが、私の生きているうちにはたぶん起こる。
東北沖地震の惨状を目の当たりにした今こそ、真剣に対策を考えておくべきだろう。
予知はどうも無理のようだ。警戒宣言には頼らないほうがよさそうだ。
つまり、地震はある日突然やってくる。
都市部を直撃すれば大混乱は必至だ。
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巨大地震があれば原発にも被害が及ぶことははっきりした。
浜岡原発を今止めるわけにはいかないだろうが、安全対策は見直ししてもらわないと。
「浜岡は安全です」とか言って何もしないのが一番困る。
M8.0クラスの直下型地震が原発の真下でおきるという想定をして欲しい。
そのときどの程度の被害が予想されるのか。どの範囲の人を非難させるのか。
非常時の電源は原発内だけでなく外から得られるようにすることも必要。
地震に強い非常用送電ラインを確保しておかないと今回の二の舞。
東北沖地震の後では、もう「想定外だった」とは言わせない。
浜岡では、耐震性が悪い原発を廃炉にして耐震対策を強化した原発を作るらしい。
もう、危険なものは作って欲しくないけれど、安全になるなら仕方ないかな。
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個人も命を守るために準備しておく必要がある。
あれだけの巨大地震でも、津波以外で倒壊した建物は少なかった。
耐震基準は地震のたびに改正されてきた。最新の基準に従っていれば、建物が倒壊して押しつぶされることは少なそうだ。ただ、古い家屋は補強が必要だろう。
「家具の下敷きになる」というのが一番おこりそうな事態だ。面倒くさいとか壁を傷つけたくないとか理由はわかるのだが、それでも命あってこそだから、重い家具はすべて固定したほうがよさそうだ。ちなみに突っ張り棒は有効な場合もあるけれど、大きな揺れになると役に立たなくなるらしい。
救援が来るのはだいたい1週間後ということもわかった。水や食料を備蓄しておくことは大切だ。ただ、賞味期限が切れないよう時々入れ替える必要がある。年に1回チェックをして、古いものは今までの無事に感謝しつつ食し、新しいものを補充しておくわけだ。
照明も必要不可欠なものの1つだ。かなり停電は長期化する可能性が高い。私はキーホルダーを小型のLED懐中電灯にした。いつもポケットに入れている。かさばらなくて便利で、それでいて8時間以上点灯する。
私は、防災の備えを従来より格段に強化する決心をした。
今購入に走ると被災地に迷惑をかけるので状況が落ち着いてから。
皆さんも改めて対策を考え、十分に備えておいたほうがよいですよ。
(2011.3.27)
院長のつぶやき原発のコスト
昔(約30年前)、学生時代に原発についてのディベートをしたことがある。
ディベートでは、本来の主義主張とは関係なく、賛成・反対が割り振られる。
あくまでも議論をする練習ということだ。私は原発賛成派にさせられた。
いろいろと資料を集め、原発を擁護・推進する論陣を張った。
私が展開した賛成論の骨子は2つ。「安全性が高い」「経済性が高い」
しかし、自分で賛成論を展開しながら、自分で説得力に欠けると思っていた。
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安全性は「事故をおこす確率が計算上限りなく低い」のが根拠になっている。
(事故の危険性)=(事故の重大性)×(事故発生確率)
原発事故は大災害を引き起こすから(事故の重大性)は大変に大きい。
しかし、(事故発生確率)がゼロに近いから危険性は低いとディベートで主張した。
だが、私はそう主張しながら自説に弱点があるのを自覚していた。
そういう確率計算は「事故のモデル」を想定して計算を試みる。
逆に言えば「想定外」の事態は確率計算に含まれていない。
津波が電源をすべて押し流すとかミサイルが命中するとかは「想定外」なのだ。
つまり、事故の確率はつねに過小評価されているのだ。
(確率)が少しでも上がれば(重大性)が莫大なために(危険性)も大きくなる。
想定外事故の確率は計算不能なので、危険性は実は専門家にもわからない。
例えば、スペースシャトルが重大な事故を起こす確率をNASAは昔10万分の1としていたが、2度の事故を受け、現在は100分の1程度としている。この手の確率は、どんな想定をするかによっていくらでも変わってくる。
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経済性は原発が生み出すエネルギーがきわめて大きいことによる。
公表されている資料に従って火力・水力・風力・太陽光より安いとディベートで主張した。
だが、私はそう主張しながらここに嘘が含まれているのを自覚していた。
放射性廃棄物処理の方法が決まらず、そのためのコストが計算されていない。
廃炉の費用も明らかに過小評価だった。いくらかかるか想像もつかないと思った。原発の跡地が100年以上(半永久的に?)使えないことなど全く無視されている。
何より、事故時のコストが算出されていなかった。事故は起こらないことになっているのだ。
でも、原発事故は実際に起こっている。軽水炉では起こらないというのも嘘だった。
スリーマイル事故は運転員が優秀な日本ではおこらないと言っていたが、嘘だった。
事故がおこると、事故処理に莫大な金がかかる。そして前述したように、事故の確率が想定より高いことは確実だ。
放射線被曝した人は後年癌を発症する。その治療費は莫大だ。どんなにわずかな被曝でも被曝量に応じてわずかに癌の確率は高まるので、放射性物質が広く拡散すれば、因果関係の証明は困難になるが、隠れた形で癌患者が増え、医療費を押し上げる。そのコストは全く算出されていない。
原発事故時に経済活動が停滞する影響は計算不能だが莫大だ。何兆円にもなるかも知れない。これもコスト計算に入っていない。
他のエネルギーではそういうコストはかからない。原発は、宣伝とは異なり、ものすごく高価なエネルギーなのではないかと思っている。
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作ってしまった原発はもう注意しながら動かすしかないけれど、新たな原発はもう作らないほうがよいと、私は思っている。 (※その後、原発をすべて廃炉にしても他のエネルギーでやっていけると確信が持てたので、危険性の高い原発から早く廃炉にすべきだと4/13現在では思っている)
そんなの不可能だと言う人もいるが、例えば、太陽光発電パネルやLED電球の価格を現在の10分の1にまで引き下げることが実現すれば、これ以上原発に頼らなくてすむはずだ。(その後、これらの価格が今のままでも原発に頼らない生活は可能だと結論を出した)
(2011.3.19)
院長のつぶやき東北沖大震災
マグニチュード9.0の巨大地震でとんでもないことになった。
3日経った段階でみると今回の地震は2つのことで長く記憶されそうだ。
「大津波で三陸を中心とした太平洋岸の市町村が壊滅的被害を受けたこと」
「福島原発で炉心溶融という重大事故がおこったこと」
そういう意味では「東日本大震災」より「東北沖大震災」のほうが呼称としてふさわしい。東日本というとどうしても東北より関東(首都圏)が主体というイメージだから。
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津波は天災で事前の対策も限られる。
これだけ広範囲だと瓦礫の下の捜索にも手が回らない。できる範囲のことをするしかない。
ただ、建物の屋上で救助を待っている人は早く助けてあげたい。
日本にはこんなにヘリコプターがあるのだからもっと何とかならないかと思う。
報道用のヘリを救助に回せという議論には無理があるらしい。
でも、報道するより先に助けてやれよ、というのは素朴な心情ではないか?
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原発事故は人災の色彩が濃い。
ECCS(緊急炉心冷却装置)は非常時の最後の砦だったはず。ECCSがあるから炉心溶融はありえない、と説明されていたのではなかったか?
4基あったECCSがすべて故障して動かなくなったってお粗末過ぎる。1説によると燃料となる重油タンクが津波で流されたそうで「想定外」だそうだ。そんなこと想定しとけよ!
原発事故は確率計算上非常に可能性が低いというのがよく宣伝されているが、それはすべて「想定内」の事故がおきる確率を示すものだ。「想定外」の事故は確率計算に反映されていない。
そして実際に起きる事故はたいてい「想定外」なのだ。つまり公表されている確率は当てにならない。
本来は事故がおきるとして対策を考えておかなければならなかったのだ。それなのに「ありえない事態」にはもともと対策が立てられていない。
そもそも、宿命的に地震が多い国にこんなに原発を作ること自体が無理だったということだろう。
原発事故による汚染の深刻さは二酸化炭素による温暖化の比ではない。環境問題への対策として原発を推進するのはもともと無理だった。事故の危険性も環境汚染の危険性も承知の上で、経済的な有益性がリスクを上回ると言えるのか、十分な検討が必要だと思う。
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原発がみな停まり東日本では停電が避けられないそうだ。
政府は国民に節電を呼びかけている。
ただ、東日本は50Hzで西日本は60Hzで、周波数変換設備の容量が少なくて西日本からはわずかしか送電できないのだという。名古屋や大阪で節電しても無駄ということかな?
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今日は名古屋市市議会選挙で「減税日本」が過半数を取るか注目されている。
だが、どう考えても減税だけを訴える能天気な政治状況ではない。
減税する金があるなら被災地の支援に回したほうがよいのではないか?
当座の救援や生活支援にもお金は必要だしインフラ再整備にはさらに莫大な金がかかる。
国としても将来の増税は不可避だろう。
子供手当だの高速道路無料化だの無謀なバラマキも即刻やめてもらいたい。
お金を集めて必要な所に使うのが政府の役割で、行政サービスを縮小して集めた税金をばらまくのは本末転倒だ。
(2011.3.13)