院長のつぶやき電気ケトル
子供2人が東京で大学生活を送っていて、夫婦2人だけの生活になった。
必然的にお湯の消費量も減った。
そこで、電気ポットをやめ、最近人気の電気ケトルを使うことにした。
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電気ポットは昔ながらの魔法瓶に比べると保温性は良くない。
電気コードを外すと、お湯の温度が冷めるのは結構早い。
保温のために再加熱を繰り返している。
お湯を使わなければ、無駄にエネルギーを消費しているわけだ。
さらに、熱いお湯が欲しくて、再沸騰ボタンもよく使っていた。
満水に近いと、4リットルもの水を再加熱することになる。
電気ケトルは、必要な時に必要なだけお湯を沸かす。
それだけ省エネということになる。
もっとも、大した金額ではない。
電気ポットなら1日30円、電気ケトルなら1日10円と試算されている。
まだ使えるものを捨ててまで買い換えるべきか、微妙な差だ。
ポットのほうがたくさんのお湯が使えるしね。
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電気ケトルにして良かったこと。
電気ポットの水量を気にする必要がなくなった。
お湯がなくなっていると、沸かすまでかなり時間がかかる。
だから、いつも気にしていた。
旅行などに出かけるときも気にしなくて良くなった。
火事も怖いし、必ず電源コードを外し、お湯を捨てていた。
ケトルなら、そういう心配はいっさいしなくてよい。
片手で持ち上げてお湯を注げる。
これはペーパーフィルターでコーヒーを淹れるときには重要。
蒸らしがしやすい。電気ポットの注ぎ口では上手にできない。
もちろんポットで問題ないことも多いが、お湯が運べるのは便利。
それに、器にお湯を注ぐほうが、器を持ち上げるより上品に感じる。
電気ケトルで必要時に沸かせば必然的に沸騰した熱湯が使える。
電気ポットでの保温温度は普通90℃くらい。
98℃に設定することは可能だが、エネルギー消費量が激増する。
必要時に再沸騰することは可能だが、5分くらい待たされる。
それならケトルで水から沸かすほうが早いくらいだ。
小ぶりなので邪魔にならない。
これだけでも、高い評価に値すると思う。
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そんなわけで、電気ケトルに満足している。
もっと早く乗り換えれば良かったと思っている。
もちろんそれぞれ利点も欠点もある。
用途でどちらにするか決めれば良い。
でも、恐らく3人家族までならケトルが良さそうに思える。
(2016. 6.05)
院長のつぶやきガッテンの堕落
4月からNHKの人気情報番組「ためしてガッテン」が、
装いと趣を変え、名前も「ガッテン」に変更して放映されている。
この番組は患者さんが見ている可能性の高い医学情報番組なので、
できるだけ録画してチェックするようにしている。
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結論から言えば、リニューアル後のガッテンには失望した。
最初から違和感があったが、自分の専門領域の話になって確信に変わった。
以前のガッテンには「科学的に正しい情報を伝えよう」という志があった。
娯楽性は、一般人に分かりやすく伝えるという目的のために、付与されていた。
過剰な演出も、難しい話題に興味を持ってもらうためだと理解できた。
内容には、専門家のチェックがきちんと入っていることがうかがえた。
番組全体を統轄する専門家の影が見えていた。
(選任した専門家に問題があるケースはあった)
だからこそ、ときどき勇み足はあったものの、信用を勝ち得てきた。
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4月改編後は、科学的真実の追究は後退し、ストーリー優先になっている。
そのストーリーに少々無理がある。首を傾げる点が多い。
話題性、意外性で視聴率を取ろうとして、正確性、信頼性が犠牲になっている。
専門家は、監修する立場ではなくなり、都合良く利用されている感が否めない。
番組スタッフがストーリーに即したコメントをもらおうとしていろいろ質問する。
専門家も意図を察して多少のリップサービスをする。
都合の良いところを選んで編集でそれらしく見せるという形だ。
これは民放がしばしば使ってきた手だ。
視聴率を稼ぐことを第一の価値として、完全な嘘ではないが不正確な情報を流す。
これは、大衆受けはするかも知れないが、堕落だと思う。
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ネタが切れてきたのかも知れない。
それなら、少しお休みして、満を持して質の高い内容を提供することを勧める。
(2016. 5.29)
院長のつぶやき政治マスコミの三面記事化
舛添知事の「流用疑惑」が連日マスコミを賑わせている。
脇が甘いのは間違いあるまい。
ただ、大事な問題がほかにあるだろうに、三面記事がトップにくるのはいかがなものか。
日本の悪しき伝統である「政治家スキャンダル個人攻撃報道」の標的になっただけ。
大正デモクラシーの時代から、あまり変わっていない。
(歴史的に見れば政党政治がつぶされ、軍部が台頭する遠因になった)
個人的な消費を、政治資金だと自分に都合良く解釈してしまった。
趣味のコレクションなのに、政治活動に使う資料だと強弁した。
もともとどこまでが政治資金化はきわめて曖昧だ。
どこで線を引くか、それほど明確な決まりがあるわけでもない。
甘く線引きする誘惑に負けた、ということだろう。
おそらくは、詳しく調べれば、多くの政治家で同様の問題は見つかるはず。
ただ、金額をみれば、それほど大々的に報道すべきこととも思えない。
隠蔽工作がされていない分かりやすいごまかしだったから、すぐばれた。
入念に隠蔽工作がなされた巨額の流用はもっとほかに必ずある。
とんでもない巨額の税金が外見上は正当に支出され、一部の人の懐を潤す。
そういう隠れた巨悪を発掘して欲しいのだが・・・
今のマスコミはそういう手間と金のかかる地道な掘り起こしには消極的だ。
いつ成果が得られるかわからないし、全く成果が得られないこともあるから。
マスコミも経営の観点から、短期的に話題を集め、視聴率をとることしか考えない。
舛添さんが有名人だから、話題にしやすいから、みんなで群がる。
他のマスコミが報じた話題に乗っかって視聴率稼ぎに走るマスコミは、無能だ。
表面的に、テレビやネットが報じるニュースだけに踊らされないようにしたい。
ちょっとカッコ良く言えば、メディア・リテラシーを大事にしたい。
(2016. 5.21)
院長のつぶやき正義の押し売りに辟易する
最近ネットで目立つもの・・正義の押し売り。
例えば、他人の不倫を叩く、震災時に不謹慎狩りをする、等々。
本人は自分が正義だと思っているから始末に負えない。
正義なんてものは100人の人間がいれば100通りあるのだ。
中島みゆきの「ファイト」という歌がある。
集団が個人をがんじがらめに縛り付ける不条理を歌う。
あるいは昔おしんというドラマを見た人も多いだろう。
古いしきたりの残る旧家に嫁いだ嫁が受ける残酷な仕打ちの数々。
もちろんフィクションだけど、そういうことは昔から多々あった。
つまり、いじめであり、村八分である。
いじめは悪いことだとされている。
しかし、いじめる側、村八分をする側にも、それなりの理はある。
彼らにとっては社会的規範を破った者に対する制裁であり、正義なのだ。
そういう理屈から、集団が個人を攻撃し、立ち直れなくなるまで打ちのめす。
これも正義の押し売りで、私に言わせればまことにおぞましい。
ネットは一見新しいようで、実は昔からのムラ的要素を色濃く残す。
手段が変わっただけで、やっていることは昔と同じ。
裁判を受けたわけでもなく断罪された者にみんなで石を投げる。
不倫は褒められたことではないけれど、個人のレベルの話だ。
配偶者は自分の権利を主張できるし、言いたいことを言えば良い。
でも、集団で社会的制裁を課す正当性はどこにもない。
他人が正義面をして公の場で非難する権利なんてあるのか。
また、震災があったからネットに楽しげな写真を載せてはいけない理屈もない。
不謹慎だと非難するヤツのほうが社会の害毒だ。
道ですれ違った相手に難癖をつけるヤクザと同類で、迷惑きわまりない。
自分が自粛したければそうすればよい。でも他人に押しつけてはならない。
そもそも、他人を批判するからには、正々堂々実名で意見表明するべきだ。
匿名でコソコソ言うヤツは、最低だ。
正義の押し売りに反対する。
正義の押し売りは、時には危険だし、時には犯罪的ですらある。
原理主義が自由を抹殺するのを座視している訳にはいかない。
(2016. 4.28)
院長のつぶやき井山裕太の七冠達成
囲碁棋士の井山裕太氏が、囲碁の7大タイトルを独占した。
棋聖、名人、本因坊、王座、天元、碁聖、十段。
1年余にわたり、最強棋士達と真剣勝負で勝ち続けることが必要。
少しでもスランプの期間があれば達成できない。
本当に、奇跡に近い。
私にとってはオリンピックの金メダルより凄い大ニュース。
新聞第一面に大見出しのトップニュースとして載せたい。
井山氏の偉業を称える。
(2016. 4.20)