川本眼科だより 57川本眼科10周年 2004年11月30日
川本眼科は、11月1日、開業10周年を迎えました。感慨無量です。これもすべて患者さんのおかげです。ありがとうございました。
これまで受診された患者さんは約2万7千人、北海道や九州からわざわざおいでくださった方もいらっしゃいました。
今回は、川本眼科10年の歩みを振り返ってみたいと思います。
開業候補地を探して
桜本町で開業することを決めるまでには、ずいぶんと紆余曲折がありました。
そもそも、最初は東京で開業するつもりだったのです。私は東大、家内は女子医大の出身で、難しい患者さんをお願いするにも応援医師を頼むにも、やはり出身大学に近いほうが何かと便利という事情がありました。
しかし、東京には医大が多いせいもあり、開業医の数が多く、とても入り込む隙間が見つかりません。開業適地というと、周辺部の埼玉や千葉になるのですが、見に行くと、相当にうら淋しい場所だったりしてがっかりしました。
そんな折に、名古屋で新しい地下鉄「桜通線」が開業し、地下鉄の駅のそばに貸しビルがいくつもできていて今なら空室があるという話を聞きました。名古屋は家内の実家であり、当時1歳の息子と生まれたばかりの娘の世話をお願いするにも便利だったことから、急に名古屋が有力候補となったのです。東京に比べて眼科の数が少ないのも魅力でした。例えば南区では眼科の診療所は当時5軒しかなかったのです。
野並、鶴里、桜本町と回りました。野並に気に入った物件があったのですが、先に取られてしまいました。当時は残念でしたが、もしも野並で開業していたら東海豪雨の時には浸水して大変だったでしょう。まさに人間万事塞翁が馬ですね。
桜本町は、道路も広く、電線の地下化が済んでいて洒落ていました。周囲に医療機関が多いので相乗効果が期待できそうでした。それに、近くにあった「神谷眼科」の先生が1年半ほど前におなくなりになっていて、眼科の空白地帯ができていたのもチャンスでした。
結局、選んだのは桜ビルの1階。今の川本眼科の向かい側で、地下鉄桜通線桜本町駅の1番出口がある所です。交通が便利な点、他の物件に比べて面積が広い点が気に入ったのです。
1994年11月1日川本眼科開業
川本眼科は1994年(平成6年)11月1日に開業いたしました。
初日だけはお祝いの花もたくさん届いて華やかだったものの、そのあと受診者数は1日20人くらいで低迷しました。これでは正直言って採算は取れません。もっとも慣れていないスタッフの教育のためには良かったのかも知れませんが。
冬の間は患者さんはちっとも増えず、半日で3人なんて日もありました。正直なところ、果たしてこれでやっていけるか不安になりました。当時私が出した年賀状には「患者さんが10人そこそこしか受診しない日もあって意気消沈」「ほとんど信じられないくらい無謀」などと書いていて、相当落ち込んでいたことがわかります。
年が明けると徐々に患者さんは増え始めました。一度かかった患者さんが、口コミで知り合いを誘ってくれるようになったのです。翌年夏くらいになると1日50人くらいの患者さんが受診して下さるようになり、ようやく軌道に乗りました。スタッフもだんだん慣れてきてくれました。
中京グループへの参加
出身大学からの支援は期待できないので、何かあったときには中京病院にお願いすることにして、東大の大鹿先生(現筑波大教授)に中京病院眼科部長の市川一夫先生を紹介していただきました。この市川先生との出会いが川本眼科を飛躍させたと言っても過言ではありません。
まず、無給の非常勤医師として中京病院の外来で週2回診察させていただくことになりました。市川先生は鷹揚に「患者さんは川本眼科に連れて行っていいよ」とおっしゃったのですが、実際には聞いたこともない眼科医院に替わろうという人はほとんどいませんでした。
開業したときには自分で白内障手術をするつもりだったのですが、市川先生の手術の腕を見て感服し、すべてお任せすることにしました。ちょうど市川先生も病院の外に「中京眼科」を作り、白内障日帰り手術を始めたところだったので、好都合でした。手術当日だけ中京眼科、あとは川本眼科で面倒を見るということにしました。手術で満足された患者さんがさらに患者さんを紹介して下さるという好循環を生みました。
やがて市川先生は、中京病院を中心とした眼科専門医ネットワーク「中京グループ」を作り、次々にレーシック・オルソケラトロジー・日帰り硝子体手術などの最先端医療を手がけていきました。川本眼科も、中京グループに参加することで、自院単独では不可能な高度医療に関わることができるようになったのです。
1999年3月医療法人化
個人の診療所として開業した川本眼科ですが、1999年(平成11年)3月には医療法人となって再出発いたしました。
対外的な信用力を高めるから、などと人に勧められたのですが、八百屋さんが株式会社になるのと一緒で、実態は変わりません。給与所得控除の分だけ、わずかに節税にはなるようです。
2000年3月現在地に新築移転
もともとは、最初に借りた桜ビルでずっと続けるつもりでした。ところが、不動産屋さんの飛び込み営業があって心が動き、さんざん悩んだ末、清水の舞台から飛び降りるつもりで今の土地をとうとう買ってしまいました。
土地を買ってしまえば、「家賃を払い続けるよりもそのお金で新築したほうがよい」というのは自然な流れです。
1998年頃から設計を始め、家内と意見が合わず喧嘩ばかりして、中日設計の若林先生と清水工務店の岩嶋さんにはずいぶんとご苦労をおかけしました。このころ頭の中は建築のことばかり、失敗はできないと診療そっちのけでしょっちゅう工事現場に出かけていました。
2000年(平成12年)1月完成。2月末、3日間休診して、スタッフ総出の引っ越し大作戦となりました。デリケートな医療機械が多く、移動には気を使いました。
しばらくは新築効果で受診する患者さんが急に増えました。ちょっとのぞいてやろう、ということだったのでしょう。
今後の展望
早いもので、開業してから10年、新築移転してからでももう4年半になります。
さすがに多少は人に知られるようになったので、広告は減らしました。特に屋外の看板広告はみんな下ろしてしまいました。
そのかわり、今後はインターネットによる広報活動に力を入れていくつもりです。こちらは広告規制の対象外で、自由にいろいろな情報の提供ができます。もうすぐご案内できると思います。
光学技術の進歩発展により、次々と新しい検査機械や新しい治療手段が現れます。川本眼科は、そういう変化の激しい中でもつねに最新の医療を提供し続けていきたいと考えております。川本眼科のこれからの10年に、どうぞご期待下さい。
2004.11