川本眼科だより 75福島事件の影響 2006年5月31日
福島の産科医逮捕事件は、医療の世界に大きな影響を与えました。医師の士気が低下したとも言われますし、産科崩壊の時期を早めたとも言われています。
医療事故がおこったとき、善意の医師を逮捕して刑務所に入れるなどというやり方は、良い結果を生むはずがありません。医療事故で一番大切なことは、事実の究明であり、再発の防止でしょう。それから金銭的な補償だと思います。どういう制度なら望ましい解決ができるなしょうか?
医師の士気の低下
福島産科医逮捕事件は、多くの医師を震撼させました。「ごく普通の診療行為で、誠意を持って全力を尽くしても、結果が悪ければいつ逮捕されてしまうかわからない」ということが衝撃だったからです。これで逮捕されるなら、どんな医師でも逮捕される可能性があります。
医師が逮捕されれば、もうその時点で社会的には有罪とみなされ、医師としての仕事はもはやできなくなります。マスコミから有罪・有責を前提にした非難を受けることも覚悟しなければなりません。裁判で無罪になったとしても、最高裁まで行ったら何年もかかるわけですから、人生の大事な時期を棒に振ってしまいます。
福島の事件の後では、医師が「患者が死亡するような可能性があることは、できるだけやめておこう」と考えるのはしかたのないことです。危ない橋を渡ることを避け、保身医療に走る傾向はすでにはっきりしています。要するに医師の士気が低下しているのです。
このことの影響はすぐ目に見えるわけではありませんが、長期的には非常に大きな悪影響をもたらすと私は考えています。
病院に産婦人科がなくなる
福島医大は、産科医逮捕事件の後、医師を1人だけ派遣していた4病院中3病院への医師派遣を取りやめることにしました。1病院だけは医師を2人にするそうです。産婦人科一人体制だったことが医療事故の原因の1つだとされたのが理由だと思われます。確かに1人だけで産婦人科医療をこなすことにはいささか無理があります。突発事態に対応することも難しいのも間違いありません。そう言う意味では集約化はやむを得ない判断だと言えるでしょう。
しかし、これにより、3病院には産婦人科医がいなくなりました。地域の人々は、お産をするために、遠方まで出かけなくてはなりません。産婦人科医が複数になった病院での医療水準は上がっても、病院が遠ければ、移動中にお産になってしまったり、急病に対する手当が遅れたり、問題点はたくさんあります。集約化で助かる命もあれば、失われる命もあるのです。
それでも、福島の事件をきっかけに、日本全国で否応なしに産婦人科の集約が進みそうです。
産婦人科医が減り続ける
産婦人科になろうとする医師が減少しています。2006年の産婦人科志望者は、2年前に比べて4割減でした。もともと少なかった上に、福島の事件により、さらに大きく減ったそうです。
正直、私も若い医師に産婦人科医になれとは勧められません。当直が多くて拘束時間が長く訴訟が全科の中で最も多いのですから。逮捕される危険も大きいとなればなおさらです。
近い将来、産科医療が危機的な状況に陥ることは間違いありません。
事実の究明のために
医療事故では、再発防止が最も重要です。事故の際に何がおこったのか検証し、対策を講じなければ、同じような事故を繰り返すことになってしまいます。
そのためには、当事者がすべての事実をありのままに述べることが必要です。それは、患者・家族の求めるところでもあります。
ところが、刑事告発される可能性があると、正直な証言は望めません。そもそも刑事被告人には黙秘する権利があり、自分に不利益になることは話さなくてよいのです。裁判では刑事責任があるかどうかだけが争われ、争いのない事実関係は議論にすらなりません。しかも、裁判は何年もかかるのが通例です。
これでは困ります。再発防止に役立ちません。発想の転換が必要です。事実を究明したければ、医師を免責にして、そのかわりすべてを正直に話すことを義務づける方法が最善と信じます。警察や検察ではなく、医療事故専門の第三者機関で迅速に調査することです。
欧米では、多くの国で実際にこういう制度が採用されています。例えばアメリカで医療事故が刑事事件になることはありません。
航空機事故などでも、アメリカでは機長が刑事責任を問われることはありません。そのかわり、強い権限を持った調査委員会が迅速に事故原因を調査します。刑事責任を問うことがかえって原因究明を困難にするという反省からできた制度だと聞いています。
迅速な補償のために
医療事故は、医師に過失がなくともおこります。(もちろんミスもたくさんあります)
ところが、医師に過失がなければ、金銭的な補償はされません。これは、患者・家族にとって過酷な制度です。一家の大黒柱を失ったら、遺族は途方に暮れるはずです。
これは、医師にとっても良い制度ではありません。医師に過失があるはずだとして、訴えられることが多くなるからです。
しかも、裁判では医師側の過失をむりやり認定したと思われるケースが結構多いのです。何も問題がなさそうでも説明義務違反だとされたりします。医師の過失を認める形での和解を勧告されることもしばしばです。
なぜかと言うと、医師は通常訴訟に備えて賠償責任保険に入っているので、弱者救済の観点から、患者・家族に有利な判決や勧告が出されやすいのだそうです。保険が下りれば医師の腹は痛まないだろうというわけです。
噴飯ものです。そんなやり方は絶対におかしい。過失がなければないと認定するのが当然です。医師の名誉の問題でもあります。
問題を解決するために、無過失補償制度の創設が提唱されています。私も賛成です。患者側は医師に過失がなくとも補償を受けられます。医師は不毛な裁判で延々と事実関係の争いをする必要がなくなります。患者と医師の双方にとって望ましい制度だと思います。
無過失補償制度には誰が費用を負担するのかという問題があります。私は、医師が応分の負担をしてもよいと思います。そんなことより早く制度を実現してほしいものです。
私は悲観的な予想をしています。医師を免責にした上での医療事故調査も、無過失補償制度も、なかなか実現しないでしょう。しかし、今のままだと、リスクの高い医療行為に携わる医師が減少してしまうことは避けられそうにありません。
2006.5