川本眼科だより 80論文の捏造(ねつぞう) 2006年10月31日
最近、科学論文・医学論文の捏造(ねつぞう)が相次いで明るみに出ました。論文の捏造は学会のみならず社会に対する悪影響も大きく、ほとんど犯罪行為と断じてよいでしょう。少なくとも、科学者としての誇りを持っているなら絶対にしてはならないことです。
それなのに、論文の捏造は後を絶ちません。なぜなのでしょうか?
韓国ES細胞事件
韓国のファン・ウソク教授は、患者さんの遺伝情報を持ったES細胞(どのような臓器の細胞にも分化する可能性を持った細胞)を作り出したと発表し、一時は世界中で注目されました。韓国では国民的英雄でした。
ところが、論文に発表した11個の細胞のすべてが偽物だということが判明しました。さらに、研究者の女性に卵子の提供を強制した疑い、国の研究費を不正に流用した疑いなどが次々に浮上、大きなスキャンダルとなりました。
東大多比良(たいら)教授事件
東大大学院工学系研究科の多比良和誠教授と川崎広明助手が有名な科学雑誌ネイチャーなどに発表した12の論文に対し、「論文通りに追試験をしても同じ結果にならない」などの疑問が噴出、東大が調査委員会を設置しました。
その結果、「実験データを記録した実験ノートが残っていない」「パソコンに直接入力していたがそのパソコンは壊れた」など、さらに疑惑が深まりました。結局多比良教授側は実験を再現することができず、東大は論文を捏造と断定し、教授と助手は事実上学者生命を絶たれました。
実は論文捏造は多い
以上の2例は捏造が確定したケースですが、実際には、「捏造ではないか」とささやかれ、ただ断定することもできずに疑惑のままになっているケースはもっとずっと多く、研究者の友人によれば「世界中に蔓延している」そうです。
実験全体が完全なでっち上げ、というケースはそれほど多くありません。それではばれやすいからです。ある程度は正しいのですが、そのままでは一流の科学雑誌には載らないので、インチキなデータで「画期的な成果」にしてしまうのです。
論文を捏造する動機
なぜ論文を捏造するのでしょうか?
研究者は論文を書くのが仕事で、どれだけ仕事をしたかはすべて書いた論文で判断されてしまうからです。「結局論文としてはものにならなかったが、夜も寝ないで頑張ったんだ」というのは、残念ながらほとんど評価されないのです。
論文をたくさん書けば、それも一流の科学雑誌に論文を載せてもらえば、その研究者の評価は高くなります。研究費もたくさん回してもらえるようになります。大学教授など良いポストに就くことが可能になります。
しかも、論文は「早い者勝ち」です。同じような研究をあちこちでしていて競争になっていることはよくあります。この場合、一番早く論文を出した人の勝ちで、「私も同じ研究をしていて1週間遅れで同じ結果になりました」というのは業績にはならないのです。
当然、研究者にはあせりがあり、「えーい、データをごまかして論文を書いちゃえ」という誘惑にかられることはありがちなのです。
捏造を証明するのは困難
論文を捏造したらすぐばれるのでは?という疑問をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。実は、捏造してもばれることのほうが少ないのです。
捏造を証明することは大変です。論文通りの手順でやってみて、結果が再現するかどうか調べるわけですが、これが簡単なことではないのです。
最先端の科学実験であれば大がかりな設備が必要ですし、再現実験には資金も労力も投入しなければなりません。結果を出しても、それが自分の業績になるわけではありません。限られた研究費を無駄に食いつぶすことになりかねません。
もし論文と違った結果になっても、「やり方が同じでない」「実験技術がつたないせいだ」などと反論されるかも知れません。他人の業績を面と向かって非難すれば、相手も死にものぐるいで反撃してくることは当然予想できます。
ですから、ある論文が怪しいと思っても、ふつう誰も論文の真偽を正面から問うことはしないのです。
嘘の論文に振り回される
嘘の論文が出ると、まともな研究をしていた人が「先を越されたからもうこの仕事はやめだ」と研究を中止してしまうかも知れません。嘘の論文をもとに次の段階の研究をしようとして失敗し、貴重な時間とお金を無駄に費やす研究者も多数出てくるでしょう。重要な研究であればあるほど悪影響は測り知れません。
捏造した論文で有名になり、たくさんの研究費を集める研究者もいるでしょう。そうすると、まじめにコツコツと仕事をしていた研究者に本来提供されるはずの資金が回らないことになります。これは社会にとって損失です。
医学の世界でも、最近は医学論文が重視され、治療方針は発表された論文から判断され決められることが多くなっています。(これをEBM=根拠に基づく医療、と言います)
もしも論文の内容が嘘だったら、治療法の選択が間違った方向に誘導され、患者さんは最善の医療が受けられないことになってしまいます。
願わくは、研究者は高い倫理意識を持って、誠実な研究をしてもらいたいものです。
2006.10