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川本眼科だより

川本眼科だより 110『標準病名』 2009年4月30日

病気には名前がついています。病名があるから医師同士が容易に情報をやり取りできるわけですし、患者さん自身も自分の病気について本やインターネットで調べることができます。

ところが同じ病気なのに病名が複数ある場合があります。当然混乱がおこります。

これをなんとかしようと『標準病名』なるものができたのですが、出来が悪く、早急に根本的に作り直す必要があります。

同じ病気に名前が6つ以上

黄斑上膜という病気があります。目にはカメラのフィルムに相当する網膜という部位があり、その網膜の中心部を黄斑と呼びます。黄斑には視細胞(ものを見る細胞)が密集していて視力を出すために重要です。黄斑に薄い膜が張ってくる病気が黄斑上膜です。

黄斑上膜にはたくさんの別名があります。黄斑前膜と呼ぶ人も大勢います。なるほど、立った姿勢なら膜は「黄斑の前」にあります。でも、寝た姿勢なら「黄斑の上」ですし、ものが接してくっついていれば「○○上」という言い方は普通です。網膜上膜・網膜前膜という言い方もあり、黄斑の少し外側に膜があることもあるというのがその言い分です。黄斑前線維増殖症なる長い病名を好む先生もいますし、黄斑パッカーと外来語を使用する先生もいます。

それぞれが自分の呼び名のほうが良いと主張しているので、簡単には統一されそうもありません。困りました。

病名がたくさんあると

眼科専門医ならどの呼び名も同じ病気を指していると理解しています。でも、他科の医師には普通そこまでの知識はありません。ましてや患者さんは混乱するばかりです。

病気のことを調べるのも困難になります。医師は医療用データベースを用いて診断や治療に関する情報を得ていますが、病名がいくつもあると検索するのに難渋します。

患者さんも最近は本やインターネットで病気について調べます。最大の手がかりは病名ですが、病名が違えば検索できません。

新聞記事やテレビ番組で自分の病気について取り上げていても気づかないことだってありそうです。それどころか、患者さんへの説明用にお渡ししたパンフレット類に書かれたことが、自分の病気と関係あると思っていらっしゃらなかったケースすらあります。

白内障・緑内障のように呼び名が一つしかなければこんな事態はおこりません。「上」か「前」か論じたり、「加齢性」か「老人性」か議論したりするより、多少異論があっても病名を統一することのほうが大事だと思います。

『標準病名』とは

とくに、電子カルテが使われるようになり、医療費請求事務もオンライン化されるようになると、病名がバラバラなのは不都合きわまり、病名統一が強く要請されるようになりました。

そこで、厚生労働省および経済産業省がつくった財団法人医療情報システム開発センターが「電子カルテ用標準病名マスター」「レセプト電算処理システム傷病名マスター」というものを作成し、病名の標準化に乗り出しました。これが『標準病名』です。何年も改訂作業が続けられ、現在はふだん遭遇することが多い疾患を概ね網羅したことになっています。

『標準病名』は完成度が低い

厚生労働省や社会保険診療報酬支払基金は、電子カルテ化、医療費請求事務オンライン化にあたり、『標準病名』をつけることを要請しています。しかもオンライン化では『標準病名』だけに病名コードがつけられるので、絶対ではないものの半強制という感じです。

病名の標準化が必要という点に異論はありません。また、作業班が膨大な手間暇をかけて苦労しながら困難な作業を続けていることも理解しているつもりです。作業班委員長の大江和彦東大教授は大学の一年後輩ですから、私は応援をすべき立場かも知れません。

それでもなお、現在の『標準病名』は完成度が低すぎて使い物になりないと言わざるを得ません。少なくとも眼科に関する限り。

第一に、大事な病名なのに『標準病名』に入っていないものがたくさんあります。なければ使いようがありません。

第二に、広く普及してよく使われている病名が採用されずに、聞いたこともないような病名が採用されている例が散見されます。「携帯電話」という呼び名が普及しているのに「電波通話機」という名前を標準にする、と言われたって誰も納得しないですよね。同じことです。

第三に、同じ病気なのに『標準病名』に2つ以上の病名が入っている場合があります。せっかく病名統一しようという趣旨に反します。

第四に、名前の付け方に統一が取れていません。例えば「糖尿病性網膜症」という病気に「性」という字をつけるかどうかという問題です。別にどちらでも構わないのですが、全医師に強制しようというのですから、命名の仕方を統一するのは当然です。

また、診療報酬点数表や薬の添付文書には「この病気には使える。使ってはいけない」という記載がたくさんありますが、そこに書かれている病名とも統一が取れていません。これらの記載も同時に変更する必要があるはずです。

眼科の病名は眼科専門医が

眼科学会には「用語委員会」という立派な組織があって、何年かに一度「眼科用語集」という冊子を出しています。これはさすがに良くできているので、これを元にして『標準病名』を作ればよかったのです。「眼科用語集」には別名もみんな載っているので、どれを採用するか検討しなければなりませんが、少なくとも今の『標準病名』よりはるかに完成度が高いものができたでしょう。

そもそも、標準病名マスター作業班に眼科医はいません。でも眼科のことは眼科専門医に任せたほうがよいのではないでしょうか。やっぱり餅は餅屋です。同じことは他科にも言えそうです。

未完成で使用に耐えない『標準病名』を強制するのは愚の骨頂です。各科それぞれの学会が専門家として病名を検討し、早急に根本的に作り直すべきです。標準病名マスター作業班は取りまとめや調整に徹するのがよいのではないでしょうか。

2009.4