川本眼科だより 172痛み過敏症 2014年5月31日
時折、きわめて頑固な眼痛を訴える患者さんに遭遇します。診察しても激しい痛みに見合うだけの病変が見当たらず困惑します。以前からそういう痛みの原因が何なのか疑問に思ってきました。
近頃、これは「痛み過敏症」とも言うべき病態なのではないかと考えるようになりました。まだ仮説の段階ですが、謎の眼痛を理解する手助けにはなりそうです。「慢性疼痛」と呼ばれる病態なのかも知れませんが今後議論が必要です。
眼痛の原因
目の痛みはよくある症状です。
一番多い原因は角膜のキズです。角膜の表面に知覚神経が密集しているために痛みを感じやすいのです。目にゴミが入ったとか、コンタクトを長時間装用したとか、逆さまつげが触っているとか、ドライアイとか、様々ですが、多くの場合比較的強い鋭い痛みです。
眼圧が急激に上昇したときも眼痛を起こします。代表的なのは急性緑内障発作です。頭痛や吐き気を伴うために内科を受診することが多いのですが、内科的検査では痛みの原因がなかなか発見できません。眼科なら必ず眼圧を測るのですぐわかるのですが。
そのほかぶどう膜炎などの炎症でも眼痛を起こします。ただ目に炎症を起こしていても、重症の感染症を除けば、たいていは鈍痛です。
疲れ目もひどくなると眼痛の原因になりえますが、やはり鈍痛や目の圧迫感などが普通です。これも通常は激しい鋭い痛みにはなりません。
謎の激しい眼痛
鈍痛とかゴロゴロするとか重苦しいとかいった症状では原因が分かりづらいことがありますが、激しい眼痛の場合には一般的な眼科診察でたいてい原因を突き止められます。
ところが、患者さんが激しい眼痛を訴えているのに、いろいろ診察してもどうしても眼痛の原因が特定できない場合があります。あるいは、きわめて軽い病変しかなく、訴えの強さと釣り合わない場合があります。謎です。
もちろん患者さんが自覚症状を誇張している可能性もあります。しかし、態度や真剣さからすると本当に強い痛みを感じているとしか思えません。そういう人は他院で「何でもない。心配ない」と訴えを取り合ってもらえず何軒も眼科を渡り歩いたり、脳外科やペイン・クリニックまで受診してさんざん検査を受けたりしているのです。
心因性なのか?
訴えに対応する病変が見つからない場合、あるいは訴えが医学的に説明できないと考えられる場合、医師は精神的な原因を疑います。「心因性」と表現することもあります。
治療としては、精神的な問題を引き起こしているストレスや社会的要因を取り除くとか、認知の歪みを正すとか、抗うつ薬を投与するとか、様々な方法が試みられています。
確かに、痛みには個人差が大きく、精神的な問題が関与しているのだろうとは思います。しかし、精神科の治療で簡単に治るような人は実際にはほとんどいないというのが私の実感です。精神科や心療内科も受診して、うつ病などと診断され、薬ものんでみて、それでも治らず満足していないことが多いようなのです。
私も病変が見当たらないと「心因性を疑う」と説明してきましたが、本当にそうなのか、常々疑問に思っていました。
痛みにも過敏症が
しつこい痛みを訴える場合、よくお話を伺うとやはり何らかのきっかけがあることが多いです。
人によっては、何度か痛みを繰り返すうちに、痛みに対して過敏になる場合があるのではないでしょうか? いったんそうなると、ごく軽い刺激に対しても激しい痛みを起こすようになってしまうのではないでしょうか?
例えば、スギ花粉症はスギ花粉が目や鼻に入ることによって起こります。最初は平気だったのに、何度も何度も入ってくるうち発症します。すべての人が発症する訳ではなく、もともと素因がある人だけ花粉に対して過敏になります。同じようなことが痛みの場合にも起こっているという可能性はあると思うのです。
痛みは神経伝導路を通って脳の痛み中枢に達します。途中の脳内ニューロンでは信号を増強したり抑制したりする仕組みが備わっています。本来抑制されるべき軽い痛み刺激が、過剰に増強して痛み中枢に強い信号が届くようになった状態なのだろうというのが私の仮説です。
目に起こった慢性疼痛か
最近になって「慢性疼痛」という概念を知りました。近年確立された概念で、私が医学生の頃にはありませんでした。別名「持続性身体表現性疼痛障害」と言うそうです。長ったらしくて頭が痛くなりますね。
神経内科で主に使われており、眼科医の間では概念自体がまだよく知られていません。
慢性疼痛の定義は「急性疾患の通常の経過あるいは創傷の治癒に要する妥当な時間を超えて持続する痛み」です。謎の眼痛そのもので、定義としてはぴったりです。
ただ、「痛みを訴えると他人の関心を引き優しくしてもらえるなどの報酬があるため」というような説明には首をかしげる点もあり、痛み過敏症仮説とは異なるようですし、そもそも謎の眼痛が慢性疼痛なのかも確信を持てないでいます。
治療は困難
治療は正直なところ難しいことが多いです。
ドライアイなど何か病気を認めればそれに対する対症療法を試みます。それなりに改善することもありますが、しばしば「何もしないよりマシ」程度の効き目で気休めに近いことがあります。
「患者さんの訴えをよく聴く」というのは少なくとも痛みを悪化させる心理的要因を軽減するのに役立ちます。ただ、混雑した外来では長い時間をかけて納得するまで話を聴くのは不可能です。
眼科ではたぶんどこも同じでしょう。精神科を受診しても、初診はともかく再診では3分だけ話を聞くのがやっとというのが現状のようです。受け皿がないのです。
痛みは長く続くと悪循環を起こすので、この悪循環を断ち切ってやればよいのではないかと考えられます。ただ、痛みを完全に止めるにはモルヒネのような麻薬系の鎮痛剤が必要になるでしょう。麻薬中毒になりかねず、現実にはできません。
痛みのことばかりに意識を集中させず、別のことに関心を向けるのは有効です。「夢中になれることを見つける」のが現在最も効果的な治療法のような気がします。
参考:日本神経治療学会「慢性疼痛」
https://www.jsnt.gr.jp/guideline/mansei.html
(2014.5)